365通の手紙 (1日4分の心のパン)

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聖書は神様からのあなたへの手紙です。
今のあなたが本当に必要としている助けです。
毎日聖書を読んで、思いめぐらし、祈るなら、必ずその日のあなたを強め、守り、助けてくれます。
2020年は1年間で新約聖書を読んでみましょう。1日約4分の心の食事です。
大切なみことばとショートメッセージも載せてありますので、聖書を読んだ後にそちらもご一読ください。
余裕がある方は、旧約聖書も読まれる事をお勧めします。(旧約聖書の通読は1日約13分です。)
★…更新遅れました。12.5時間遅刻です。スミマセン。

9月14日(月)  【新約通読】コリント人への手紙第二 7章1~16節
─みことば─ 【Ⅱコリ7:10】
神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
人は誰でも罪を犯します。しかし多くの人は罪自体を悲しむのではなく、罪がもたらす結果や、罪を犯している事がばれることを悲しむだけです。この人達の生き方は何も変わりません。この世の楽しみで悲しみを紛らわし、また罪を繰り返し、悲しみを繰り返します。罪から解放されることも罪を赦されることもありません。本当の心の平安と自由を得ることはできないのです。また、この世の人達の多くは素直に自分の非を認めようとしないので、罪を指摘されたり叱責されてもなかなか心から受け入れようとはしません。
しかし、人は、その犯した「罪」そのものに対する悲しみによってその人の生き方が変わる事があります。コリントの教会の人達がそうでした。パウロが指摘した罪自体を認め、パウロの叱責と懲らしめを受け入れました。主の前に悔い改めたのです。悔改めるなら罪は赦されます。それは信仰に繋がり、罪と死から救われ、新しい祝福された人生と永遠の命が始まります。悔改めに至る悲しみは、その後に大きな喜びをもたらすことになるのです。
余裕のある方は【旧約通読】もどうぞ。 伝道者の書 1~4章

9月15日(火)  【新約通読】コリント人への手紙第二 8章1~24節
─みことば─ 【Ⅱコリ8:9】
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
困窮するユダヤ人のエルサレム教会を救う為、パウロは自分が開拓した異邦人の教会から献金を集めていました。ピリピやテサロニケの教会も極度に貧しかったにもかかわらす、より困窮しているエルサレムの為に惜しみなく献げました。献金は金額よりも心が大切です。いやいや献げるのではなく喜んで、そして持っている程度に応じて献げるのです。また、たとえ現在エルサレムをコリントが支えるような構図になっていても、コリントがエルサレムより上になったわけではありません。いつかコリントも誰かの助けを必要とする時が来るのです。たまたま現在、コリントがエルサレムを助ける順番にあたっているだけなのです。
余裕のある方は【旧約通読】もどうぞ。 伝道者の書 5~8章

9月16日(水)  【新約通読】コリント人への手紙第二 9章1~15節
─みことば─ 【Ⅱコリ9:7】
ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
私達は神様から多くの恵みを頂いています。と言うより、命から時間まで全ては神様の恵みです。全ての人間は神様の恵みによって生きているのです。その恵みは私達が神様の為に使うように与えられているものです。そしてそうすることを神様はとても喜びます。その使い方の一つが「献金」です。
「神様の為に使う」と言っても大切なのは金額や収入に対する割合ではありません。大切なことは喜んで献げることです。喜んで献げるということは、自分が好きなように使って余ったモノを献金にするのではありません。周りを見て人から文句を言われない金額をイヤイヤ支払うのでもありません。自分を満たして余裕があったら他の人を助けるのではなく、苦しい時こそ共に手を取り合って助け合う。今苦しんでいる人に手を差し伸べる。その為に心の門を閉じないで、開いている。その心を神様が喜び、神様の喜びが献げる人の喜びとなるのです。大切なことは、心を閉じない事、喜んで献げる心なのです。
みなさんは自分が神様に献げられることを、神様に感謝していますか。
余裕のある方は【旧約通読】もどうぞ。 伝道者の書 9~12章

9月17日(木)  【新約通読】コリント人への手紙第二 10章1~18節
─みことば─ 【Ⅱコリ10:4】
私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
コリントの教会にはまだ何人かパウロの事をよく思わない人達がいました。彼らはパウロの事を「離れている時は強気なのに、面と向かっているときはおとなしい。」「手紙は重みがあって力強いが、実際に会ってみると弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」「パウロは偉そうに振る舞い、他人の個人の領域にまで踏み込んでくる」などの中傷を大声で行ったり、裏で広めたりしていました。
しかし、どの言い分も神様に反対する人の高慢な主張です。このような主張にさらされた時、つい怒って自分の方法で対応したり、あるいは落ち込んで相手の言いなりになってしまいそうですが、パウロは神様の強力な武器で対抗しました。すなわち、祈り、信仰、希望、愛、そしてみことばと聖霊です。どれかを使うのではなく全部です。つまりイエス・キリストに従うクリスチャンの堂々とした、そして謙遜な、自然体です。この武器こそ悪魔の要塞をも打ち破る唯一にして最強の武器なのです。
余裕のある方は【旧約通読】もどうぞ。 雅歌 1~4章

9月18日(金)  【新約通読】コリント人への手紙第二 11章1~33節
─みことば─ 【Ⅱコリ11:30】
もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。
コリント教会に「大使徒」と名乗る偽使徒が現れて教会の人達を惑わせていました。彼らはイエス・キリストの使徒なら絶対に誇ったりしない、「自分がユダヤ人である」という血統を誇り、キリストの使徒を騙り、異なった福音を教えて、教会の人々のイエス・キリストの福音に対する純粋な献身を汚し弱めていたのです。パウロは愛するコリント教会の人々が偽使徒に惑わされている事を心配し、必死に正しい道に戻そうとしました。そこで、イエス・キリストの使徒でなければ絶対に誇らない事を誇ったのです。それはイエス・キリストへの信仰と献身の故に被った数々の迫害や苦難の経験でした。キリストを信じたが故に数多くの死ぬような目にあった事を、パウロはキリストの苦しみに与るものとして用いられたとして堂々と、そして大いに喜んで誇りました。クリスチャンには必ず苦難があります。その苦難は必ず乗り越えられる通が備えられています。そして乗り越えた時、その人は大きくイエス様に近づきます。これは誇るべきことなのです。
余裕のある方は【旧約通読】もどうぞ。 雅歌 5~8章

9月19日(土)  【新約通読】コリント人への手紙第二 12章1~21節
─みことば─ 【Ⅱコリ12:9-10】
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
パウロには持病、慢性的な肉体の痛みがあったようです。パウロは3度癒しを主に祈りましたが癒されることはありませんでした。主のご計画によるものです。しかしそれによってパウロはこれからの働きに必要な強い精神力や、精錬された品性、謙虚さや神の前の従順、他の人達に共感し寄り添える心と立場を与えられ、キリスト者としてより高められたのです。また、そんなパウロの弱さの故に神様の働きがより強く表れるようになったのです。ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に、「病者の祈り」と呼ばれる詩が掲げられています。そこには「求めたものはひとつとして与えられなかったが、願いはすべて聞きとどけられた」と書かれてあります。
余裕のある方は【旧約通読】もどうぞ。 イザヤ書 1~2章

9月20日(日)  【新約通読】コリント人への手紙第二 13章1~13節
─みことば─ 【Ⅱコリ13:5】
あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか
パウロが愛するコリント教会は多くの問題を抱えていましたが、パウロの手紙や交流を通して、一つずつ、少しずつ問題を解決しながら成長していきました。それでも中には未だパウロへの反対者が根強く残っていました。パウロはコリントの人達に、自分の中にイエス・キリストがいて、この世の罪の嵐の中を永遠の港に向けて安全に導いてくださっている事を伝え、自分の信仰を確認し吟味するように勧めました。イエス・キリストを自分の救い主として心に受け入れるなら、聖霊が心の中に入ってくださり、外見は何も変わらなくても、中身は新しく造りなおされ、新しい命で新しい人生を歩いています。あなたはその事を感じることが出来ますか。静かな一人の空間で呼吸を整え、使徒信条を告白し、主の祈りを祈り、黙想してみてください。きっと自分と神様のつながりを確信できる筈です。
余裕のある方は【旧約通読】もどうぞ。 イザヤ書 3~5章

9月21日(月)  【新約通読】ガラテヤ人への手紙 1章1~24節
─みことば─ 【ガラ1:6】
私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
現代には多くの異端がありますが、教会が出来始めた頃にも偽の福音が広まっていました。 人が罪から救われる方法はたった一つです。それはイエス・キリストを自分の救い主として心から受け入れることです。父なる神のひとり子イエス様は世界中の全ての人間の罪を、一人で身代わりに負って、十字架で死んでくださり、そして復活してくださいました。このことを福音と言います。福音に必要なものは信じること。他に必要なものはありません。ユダヤ人とか異邦人とか関係ありません。割礼とか何かの儀式とかも関係ありません。信仰のみなのです。このことを信仰義認と言います。福音は純粋な恵みです。信じて受け取るだけなのです。もし他に何か必要と言う人がいたら、その人はイエス・キリストの十字架をただの人間の死に貶めてしまっているのです。
余裕のある方は【旧約通読】もどうぞ。 イザヤ書 6~8章

9月22日(火)  【新約通読】ガラテヤ人への手紙 2章1~21節
─みことば─ 【ガラ2:20】
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
人は律法や割礼など行いによって救われるのではありません。人を救うのはイエス・キリストを信じる信仰だけ、イエス・キリストの十字架だけなのです。そして救われた人は心に聖霊が遣わされ、外見は変わらなくとも、新しく造りなおされ、新しい命で、新しい人生を歩み始めます。そして聖霊に導かれて自然に律法を守るようになっていくのです。パウロのアンテオケ教会に来ていたペテロも、そのことをよく理解していた筈でした。教会の異邦人クリスチャンとも分け隔てなく一緒に食事をしていました。しかしエルサレムから、「異邦人が救われるには割礼が必要だ」と考える人達がやって来ると途端に異邦人とは付き合わなくなりました。自分の保身と表面的な争いを嫌い、福音の真理、イエス・キリストの十字架の真の意味を犠牲にしたのです。パウロは福音の真理、イエス・キリストの十字架の真の意味を守る為に、たった一人で正面からペテロに抗議したのです。
余裕のある方は【旧約通読】もどうぞ。 イザヤ書 9~10章

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